親に今までの仕打ちを謝って欲しい?~自覚がないからこそ毒親だということを受け入れて諦める・忘れる・許すのいずれかを選ぼう~

「ちゃんと、誤って欲しい」

毒親に育てられた人であれば、一度は思ったことのあること
むしろ、常に求めているものであるはずです。

何らか被害を受けた際には、相手からの謝罪がない限りは
<もやもや>が続くものであり、それは謝罪があるまで消えることはありません。

ただし、一般社会であれば
<悪いことをしたら、それなりの謝罪をする>ことは常識的なことであり
その「悪いこと」の度合いによって、内容が変わることも当然のことです。

しかしながら、自分が毒親だという自覚がないからこそ毒親であり
「悪いことをしていない(と思っている)」人に対して
謝罪を求めるのは、意味がない、終わりのない不合理なことと言えます。

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「意味のないこと」と受け入れることが必ず必要

<自覚がない>

これは「サイコパス」にも通じることであり、根本的にサイコパスではなくとも
我が子が長い間苦しむことになる、仕打ちをするような人間というのは
やはりまともではなく、<壊れている>と言えるはずです。

まして、その仕打ちが<我が子のため>というプラス思考で行われていた場合
「いいことをした」と思っている人間が、謝罪をすることはないでしょう。

  • 全く悪いと思っていない
  • いいことをしたと思っている

こういった人間に対して、謝罪を求めることに意味はありません。

  • 忘れる
  • 諦める

いずれかの決断をするしかありません。

「謝って欲しい」という思いは<縛られている>状態

もし、その対象が親でなかったとしても
「謝罪して欲しい」と思う気持ちは、「欲望」であることに変わりありません。

それは「謝ってもらえるまで、解消しない欲求」です。

もし、永遠に謝罪を受けることがなかった場合には
永遠に解消しない欲求であり、ただの「足枷」となってしまいます。

もちろん、<親だからこそ>恨みは深いものであり
本来であれば、自分を守ってくれる存在であるはずの
実の親にされた仕打ちというのは、日常の中にある怒りとは比べ物になりません。

<忘れる>方が少し楽

毒親に育てられ、物心がつき、謝罪して欲しいという願いが生まれた際
その多くが、長い間にわたりその思いに苦しめられるはずです。

  • 過去に自分がされた仕打ち
  • それを謝ってくれない現実

この2つに対する怒りが合わさることで、より大きない怒りになります。

心の底から求めているものを、諦めるという行動は非常につらいことに違いありません。

だからこそ<忘れる>という選択の方が、楽だという考え方もできます。

いずれも、悔しいことには違いありませんが。



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<許す>ことはできるか?

諦めることができない、だから忘れる

実際には、あまりいいことではないような気もします。

更に一歩進んだ選択肢としては、<許す>というものがあります。

これは諦めることよりも、はるかに難しいことです。

ひき逃げされて、顔の分からない相手を許せるでしょうか?

しかし、そういった人は<かわいそうだな>と思うことで
ある意味で、「優越感」にもつながるものとなります。

しかしながら、やはり無理をすることはないと思います。

ただし、「かわいそう」と思うことは必要だと思います。

毒親にも、毒親となる事情があったはずです。

だからと言って、許されるもののではありませんが・・・

使い古され過ぎたセリフですが、「人間は<生まれ>が全て」です。 「いや、努力次第でどうにでもなる!」 「いじけているヤツは、そも...

「強迫観念」となってしまう危惧もある

以上の内容は、毒親の下に生まれた人であれば
誰もが一度は整理したことのある内容であり、
実際に、頑張って忘れようとしている方は多いと思います。

その際に注意しておくべきこととして、当事者として述べておきたいと思います。

諦めよう、あきらめよう

忘れよう、わすれよう

こういった考えというのは、1つの「強迫観念」と言えます。

「強迫性障害」に陥ってしまうリスクがあるのです。

ただでさえ、毒親の育てられた人間というのは
強迫性障害に陥りやすい傾向があります。

そして、強迫性障害を招くことになった原因である
毒親への怒り・恨みは、より強いものとなっていくのです。

だからこそ、忘れることが最もおすすめの選択と思われます。

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