自分の子供を虐待してしまう親の心理とは~愛する我が子を虐待してしまいそうで怖い・不安な場合には~

「児童(幼児)虐待事件」

という出来事・ニュースは、本来であればあってはならないものであるものの
定期的に目にする(メディアにおいて)ものであり、つまり<実行>する人がいます。

その内容がいかなるものであれ、残酷なものであることに変わりありませんが
特に大きなニュースになるものには、その多くに「死」が関わっているものになります。

そしてもう1つ、特徴的なものとして
ニュースになるのは、「自分の子供を虐待した例」であることです。
(本来「虐待」の対象には、様々なものが含まれます。)

一般的に認知される、<児童虐待>という言葉・事件には
「自分の子供を傷つけたヒドイ親」というものが、セットになっています。

そして、ニュースを目にした多くの人が
「こんなひどいことをする人間がいるのか・・・」と、
一瞬の憤りを感じ、そして<忘れる>こともまた事実でもあります。

いくら世間を賑わせた内容だとしても、基本的には「他人事」の一部です。

多くの人にとっては。

しかしながらそうではない、他人事として整理することができない
「当事者」として、ニュースを見て、怯えている人もまた存在しています。

「我が子を虐待してしまいそうで怖い」

こういった恐怖を描く人というのは、少ないながら存在します。

そういった人にとっては、<実際に起きている>ニュース等を目にする度に
不安が大きくなってしまうことは、当然のことと言えます。

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「恐怖」は「症状」である可能性も

「自分の子供が傷つくことを、親がする」

本来であれば、<おかしい>ことです。

それは、納得されるかと思います。

しかしながら「恐怖感」がぬぐえない、ということは
まず第一に、その「想い」は「強迫性障害」である可能性が考えられます。

本来であれば「不合理」であること、やってはいけない
そもそも「やるはずがない」ということを、もしかしたらやってしまうのでは?という考えは
典型的な「強迫観念」であり、無限に存在する症状のパターンの1つです。

実際に「子供を傷つけてしまうのでは?」という強迫観念は
子供を持つ患者の中には、珍しくはない症状と言えます。

いずれにしても「異常な考え」と自覚し、カウンセリングといったものが必要です。

強迫性観念によるものである場合には、「本当は傷つけたくない」という気持ちもあるため
根本的な「親子関係」には、問題がない場合も多く<病気を治す>ということが重要です。

「衝動」の場合こそ注意が必要

ただし、恐怖と「衝動」は全く異なるものです。

「子供を傷つけたい」という気持ち・衝動を持っている場合、
それは、「いずれニュースになる可能性があるもの」と言えます。

間違いなく、大問題です。

危機感を持っているうちに、解決をするべきであり
まずは、それが子供ではなく「自分の問題」と捉えることが必要です。

「子供のせい」というのは、あり得ない考え方ですが
虐待している・してしまいそうな人の中には、そういった考えの人もいるはずです。

なぜ<傷つける>ことをしてしまうのか?

そもそも虐待とは、「叩く」といった単純なものだけではありません。

  • 精神的な攻撃(過剰な叱咤)
  • 育児放棄(ネグレクト)

また、「パートナーの虐待を見ているだけ」も十分に虐待であり
「夫が殴るのを止められなかった」という例は、少なくありません。

「普通の親であればしないこと」という、曖昧な定義を挙げることができますが
いずれにしても、子供が傷つく・今後の人生に悪影響を与えるものは
それがどんなものであれ、<虐待である>と言えるはずです。

「愛があればいいのか否か」というのは、やや別の問題にもなりそうですが
「愛」が持ち上がる例には、必ず「精神的な傷」が残るために
「げんこつで育てた」というケースよりも、よりたちが悪いことも多いです。

そして、そういった<普通の親がしないこと>をなぜしてしまうのか?に関しては
「親になる器」ではない人間が親になってしまった、という他ないものです。

よく言えば、「未熟」

厳しく言えば、「親になる資格がない」

そういった人間です。


基本的に「こどもより自分の方がかわいい」

虐待にいたる理由、またその内容は様々です。

しかしながら、1つだけ確かであると言えることは

子供よりも自分を優先してしまう

ということです。

「わがまま」であり、「自分の欲望が第一」なのです。

繰り返しになりますが、<普通は>子供を産む・生まれた後は
「この子を守るためなら、自分は死んでもいい」と思うようです。

「そうは思わなかった人間」が虐待をしてしまう、ということに過ぎません。

<気に入らないから殴る>ということは、我が子相手にはしないことです。

しかしながら「泣き止まないから殴った」というものは、よく聞く「供述」です。

自分も虐待されて育った

更に典型的な例を挙げれば、「自分も虐待されていた」というものであり
こちらは世間的にも広く知られている、「虐待に至る理由」と言えます。

一言で言えば、<普通の育て方が分からない>という状況であり
殴られた育った人が、子供を殴って育てるのは、ある意味で不思議はありません。

実際に、幼い頃に親と別れて(死別を含め)育った人も含めて
「育児」に関して不安を持つ・うまくできないという親は少なくなくないようです。

しかしながら、そいういった状況はいいわけがありません。

虐待して育てられた親が、自分の子供も虐待する、ということは
その子もいずれ自分の子供を虐待し、「負の永久サイクル」の過程となってしまいます。

「思い通りに育たない」から傷つける

上記のいずれにも該当する要素に「思い通りにならない」ということがあり
虐待の引き金・スイッチになることあります。

分かりやすい例として、

両親共に、俗にいう「エリート」の家庭における
「スパルタ教育」と呼ばれるような、熱心な教育方針の結果

「勉強ができない」

から、

「かわいがらない」

ということも、十分に虐待です。

これは、<愛があるから>ということが言い訳にされる典型的な例ですが
子供に「傷」が残るものは、程度や内容は関係なく虐待と言えます。

「自分達の思い通りに育ってくれない」

という考え方は、非常に未熟なものである言えます。

「自覚」があるだけマシなのか?

「何か悪いことをしている」という状況に関しては、
「悪いことと、自覚しているだけマシ」と言われる風潮があります。

しかしながら、虐待に関してはそう簡単に済むものではありません。

改めて言うまでもなく、

虐待は<すべきではない>のではなく、<してはいけない>ものです。

強迫観念にしても、自分が親として未熟な場合にしても
実際にしている・危機感がある、というのは非常に危険な状況です。

「自力」での克服は難しい

虐待をしている

虐待をしてしまいそう

虐待をしてしまうかもしれない不安が消えない

繰り返しになりますが、こういった状況は「異常」です。

一刻も早く、手を打つ必要があります。

しかしながら、「自力」での解決が難しいことも事実です。

また、親、パートナーへの相談が難しい場合も考えられます。

そういった場合には、

  • メンタルクリニック
  • 児童相談所

といった、専門機関に訪れることも検討しましょう。

「こっそり」でいいはずです。

「恥ずかしい」という気持ちは捨て、今すぐに行動して欲しいと思います。

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